1. 蒲田レンタルルーム
  2. 蒲田 史跡

蒲田 史跡

東京都大田区蒲田には、地域に受け継がれてきた多くの史跡が点在しています。
友人や家族・カップルで歩いて楽しめる史跡や文化財があるので、ショッピングや食事を楽しんだあとにじっくり巡ることができます。

今回は、蒲田の史跡についてご紹介していきたいと思います。
「蒲田周辺の史跡めぐりを楽しんでみたい」という方は、ぜひチェックしてみてください!

蒲田の史跡「大森貝塚」

「大森貝塚」は、明治10年(1877年)、アメリカの動物学者だったエドワード・シルベスター・モース(Edward Sylvester Morse)博士が横浜から新橋に向かう汽車の窓から発見し、発掘された日本考古学上最初の遺跡です。これが日本の考古学発祥となったため、モース博士が発掘調査のために降り立った大森駅のホームに「日本考古学発祥の地」碑が立っています。

貝塚とは、「原始~古代」の人々が捨てた貝殻などが堆積した遺跡で、貝殻だけではなく、人骨や獣の骨、土器、焼土、灰なども一緒に捨てられ「堆積層」ができ上がったものです。
大森貝塚は縄文時代後期(約3000年前)の遺物が出土し、国の史跡に指定されています。 線路際には縦書きで「大森貝墟」と刻まれた石碑が立てられています。

大森区はモース博士が帰国後、大森貝塚を発見したモース博士の結ぶ縁により、館長を務めたピーボディー・エセックス博物館があるアメリカのセーラム市と平成3年(1991)に姉妹都市になりました。

蒲田の史跡「行方弾正直清供養塔」

「行方(なめかた)弾正直清供養塔」は、日蓮宗の寺院である円頓寺の境内にある大田区指定史跡です。
行方弾正直清は後北条氏の家臣で、六郷領を支配していた領主です。 天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めの際に、討ち死にしたと伝えられます。石塔は弟の日芸が、直清や行方一族の供養のために建てたものです。

京急線「京急蒲田駅」から徒歩約10分と訪れやすいので、気軽に立ち寄れる史跡スポットです。

蒲田の史跡「斎藤氏館跡」

「斎藤氏館跡」は、永禄年間(1558年~1570年)に斎藤政賢により建てられた中世武将館跡です。
政賢は後北条氏に属しており、1589年に病没、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めで没したとも言われており、政賢や斎藤氏について詳細は記されていません。目の前には八幡神社があり、周辺がその跡とされています。

京急線・京急蒲田駅からすぐ近くと交通アクセスが良く、「行方弾正直清供養塔」とセットで気軽に訪問できるためお散歩がてら訪れるのもおすすめです。

蒲田の史跡「梅屋敷と和中散売薬所跡」

京浜急行本線・京急蒲田駅の隣に「梅屋敷駅」という駅があり、この名前はかつてこの地に存在した梅屋敷という漢方薬屋に由来しています。
江戸時代「和中散」という薬は食あたりや暑気あたり等に効く道中常備薬として旅人たちに親しまれており、茶屋で販売されていました。薬の販売は大成功を収め、この利益で茶屋周辺に見ごとな梅園を造園したことからやがて「梅屋敷」と呼ばれるようになりました。
この茶屋跡は史跡として「聖蹟蒲田梅屋敷公」という名で現在も残っています。 公園内には梅屋敷山本家の門の横にあったという里程標(日本橋からの距離を示す石碑)が復元されており、冬の終わりから春の始めにかけて美しい梅の花が見られます。
梅屋敷駅から徒歩約5分とアクセス抜群の史跡スポットです。

蒲田の史跡「松竹キネマ撮影所跡」

「松竹キネマ撮影所跡」は、大正9年(1920年)から、大船に移転する昭和11年(1936年)まで、日本の映画スタジオ「松竹キネマ蒲田撮影所」の跡です。 「東洋のハリウッド」を目指した時代であり、「流行は蒲田から」と言われるほどの華やかさと活気で溢れていました。

現在は跡地に区民ホール「アプリコ」が建っています。
敷地内には昭和61年(1986年)に制作された映画『キネマの天地』で使用された松竹橋が残されています。

蒲田の史跡「六郷殿館跡」

「六郷殿館跡」は、関東管領・山内上杉憲政の子である上杉憲幸の館跡です。
天文年間(1532年~1555年)にあったとされ、北条氏康により攻められて以降、後北条氏の傘下に入ったそうで氏康が作ったとされる「小田原衆所領役帳」に六郷殿の所領などが記されています。石碑や解説板はなく遺構は残っていないものの、青嵐寺、蒲田小学校付近が館跡の推定地となっており、日本城郭大系にも取り上げられています。

蒲田の史跡「勝海舟夫妻の墓」

勝海舟(1823〜1899)は武士、そして政治家として幕末で活躍した江戸幕府の役人です。
官軍のおかれた池上本門寺に赴く途中、洗足池畔に憩い、洗足池畔の風景を愛し、その縁で別荘を構えていまました。 生前から墓は洗足池畔と決めていたと言われています。 「勝海舟夫妻の墓」は区指定文化財に指定されています。

蒲田の史跡「狩野探幽の墓」

狩野探幽(かのうたんゆう)(1602〜1674)は狩野孝信の長男で、日本絵画史上最大といわれる狩野派の「中興の祖」と言われています。
幼少期より画才があり、幼少期は父孝信の影響を色濃く受けており、20代では祖父である永徳に影響を受けています。
山水、人物、花鳥と作域が幅広く、水墨を主体とし、墨線の肥痩を使い分け、枠を意識し安定感のある構図、繊細でやわらかな筆使いで品のよい落ち着きのある独自表現を確立しました。

狩野探幽の墓は池上本門寺内にあり、場所が分かりにくいため、しおりをもらうことをおすすめします。
墓塔は珍しいひょうたんの形をしており、並び立つ顕彰供養碑には探幽の事績が刻まれています。 「狩野探幽の墓」は都指定文化財に指定されています。

まとめ

いかがでしたでしょうか? 蒲田周辺は史跡が多く残るエリアです。
都心部からのアクセスも良く、四季を感じながら気軽に歴史散策を楽しめる街としても親しまれています。

史跡巡りを楽しみ、夜はレンタルルームで2人でゆっくりと過ごすのもおすすめです。パートナーとの時間をより満喫するためにも、ぜひレンタルルームを利用してみてください!